帰国子女の悩みドコロ

帰国子女の悩みドコロ

帰国子女にだって、悩みくらいあるもんだ。そんな自身の悩みを学問として追及していたら、大学院にまで来てしまったというお話。

努力を続ければいつか英語を「マスター」できるという勘違い

本日のテーマ
英語マスターに俺はなる!


どーもー、おりばーです。

 

「英語を最短でマスターする勉強法」
「たった一年で英語をマスターできる10のコツ」
「英語嫌いの僕が、一ヶ月で完璧な英語を身につけた方法」

どれも目を引くタイトル。
いったいどんな極意があるんだ!?どんな秘密があるんだ!?
多くの人が食いつくことだろう。

(結局は「沢山努力しろ」という内容のものが多い気がするけど・・・)

英語の学習法、独自の勉強法を紹介すること自体は素晴らしいと思う。
他の学習者を見習って、自分も頑張ろ!という気持ちになれるならそれで良い。

 

でも、僕にはずーーーっと気になってることがある。

 

英語を「極める」「マスターする」「完璧にする」って、可能なのだろうか?
どこまでいけば、僕は「完璧な英語」を身に着けたことになるのだろうか?


多くの第二言語学習者が無意識に目標にしてしまう「完璧」。

実はその目標、どう頑張っても達成できない。
どう頑張っても達成できない目標は、それだけで学習意欲を削いでゆく。
そのトラップに他の人が落ちてしまわぬように、今日は一緒に考えてみよう。


「ネイティブのような完璧な英語を目指さなくて良い」というのもある種同罪なので注意!

(完璧主義さえ止めればすぐに上達する!という記事ではないのであしからず。)

 

 

あなたの日本語は完璧ですか? 

 

英語の話をする前に、日本語について考えてみよう。

「あなた」の日本語は完璧ですか?
知らない単語なんてない、読めない漢字なんてない、と言い切れるだろうか?
試しにこれらの単語の意味が分かるか試してみよう! 

第1問!

最近接発達領域
板書計画
校務分掌

第2問!

曖気
移乗動作

第3問!

三角持ち合い
持ち合い解消
無配転落

第4問!

まじメンディー
まじTBS
イチキタ


どうだったかな?

第1問は言語学や教育学を学んだ人にはおなじみの言葉。
第2問は僕が介護体験を行ったときに覚えた介護現場における言葉。
第3問は適当に金融関係でググッた言葉。(一つもわからん)
第4問は若い読者ならわかるかな?(一つもわからん)

人によっては、知ってて当然というものだったのではないかな?

 

正解者に拍手!よくできました!よくできました!(某番組風)

 

専門用語ばっかで、こんなの分からなくて当然?

いやいや。
その分野の人ならば知っていて当然のものばかり。
でもまぁ、ちょっと意地悪な問題だったことは認めよう。

 

何が言いたいのかというと、

母語においても、「完璧」なんてありえない。
ただそれだけのこと。

その理屈でいえば、
「ネイティブ」の英語だって、「完璧」にはなれないんだ。

知らない単語なんてない!
読めない単語なんてない!
僕の言語は完璧だ!

そんなことは、例え母語であっても叶わない。

「若者言葉」と呼ばれるもののように、新しい言葉もどんどん生まれている。
それらを日本語じゃないと言い切ってしまって良いのだろうか?

「ネイティブ」の今時の言い回しとかを凄く気にする学習者が多いのに、日本語の若者言葉は認めないというのはいかがなものだろう。

 

誰だって部分的に流暢

 

僕は新聞の経済欄を読んでもぜんぜん言葉の意味が分からない。
一方で、言語教育に関する学術論文の言葉はすらすら読める。

プログラマーが入院したら、病院で飛び交っている単語の意味なんて分からないだろう。
同じように、医者がプログラミングを始めようとしたら、知らない単語だらけだ。

IQの問題じゃない。

僕らの言語というのは、何時だって「完璧」ではないんだ。
でも、完璧じゃないからといって、日常生活に支障が出るわけではないよね。

会話していて知らない単語が出れば、聞けば良い。
「分からない」ものに出会った時に、恥だと思わずその場でしっかり学習する。
そうすれば「分からない」は「分かる」に変わる。

日々新しい言葉が生まれ、古い言葉は「死語」として忘れられる。
使う人たちによって、言語は常に代謝を繰り返している
使っている人たちが生きている社会が常に変化しているのだから、当然のこと。

「既読無視」
イクメン
ブラック企業

数十年前なら誰も使いもしなかった言葉。
今の時代に必要だから生まれてきた言葉。

 

言語とは何時だって「不完全」で良いんだ。

「完璧」や「極み」という到達点なんて、言語には端から存在しない

 

もちろん、本当に全ての単語を覚える!という意味で「マスター」とか「完璧」を使っているわけではないのは重々承知だ。

でも、そういう言葉を口にしていると、無意識にでも到達点を意識してしまう。

「僕の英語なんて、まだまだ完璧からは程遠い」
「絶対に間違えたくない」

存在もしない「完璧」を目指してしまうと、自分で自分の学習を苦しいものにしてしまう。

 

英語を完璧にするって言わないで・・・

 

ただの言葉遊びだと言われてしまうだろう。

でも、僕は英語を「完璧にする」って言って欲しくない。

英語に限らず、言語学習はプロセスであって、「道」なんだ。
自分が学びたいように学び、自分が使いたい言葉を使う。
自分に必要だと思う範囲で勉強すれば良い。
何も全ての言葉を覚えようとする必要なんて一切ない。

本当に大事なのは、
単語帳をいくつ読破したのかではない。
文章を何分で読めるようになるかではない。
TOEICで何点取れるかではない。

本当に大事なのは、自分がその言語を学びたいと思った理由。

旅行で使いたい。
あの人と話せるようになりたい。
仕事の会議で使えるようになりたい。

その理由こそが言語学習の目標であって、自分が目指すべきもの。
言語学習の目標なんて、人それぞれ違っていいんだ。

言語学習に終わりはない。
ここまでいったら「完璧」なんてラインがない。
だったら最初から100%になろうなんて思わなければいい。

 

覚えておいて欲しい。

言語学習は、常に+1をしてゆく作業。

昨日までの自分に、これまでの自分に少しずつ足してゆく。

その作業に終わりはない。
終わりがあるとしたら、それは自分で「もういいや」と思った瞬間。

俺は英語をマスターした!という人は、もう努力することを辞めてしまった人。
英語を極めた!という人は、もうこれ以上の学習に意味を感じなくなった人。

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"完璧とは、停滞である"

そういう意味では、言語学習に「完璧」はなくとも、「満足」という終着点はあるかもしれない。

でも、興味があり続ける限り言語学習に終わりはない。
コミュニケーションで使いたいと思う限り、話し相手や時代が常に変化する以上、英語が「完璧」になることなんてない。

 

だから焦らず、一歩ずつ進んでゆけば良い。

「完璧」じゃなくて、昨日+1の自分を目指そう!

 

結論!英語は一生「完璧」にならない! 

 

言語を極めるとか、英語を一ヶ月でマスターするとか、もう言わないで!

「ネイティブのような完璧な英語を目指さなくていい!」という記事も同罪
「ネイティブ=完璧」「非ネイティブ=不完全」という前提で話してしまっている。
「ネイティブ」だって完璧じゃないということを忘れてはならない。

 

そういう言葉を使った時点で、不可能なゴールを目の前に設けることになる。
いくらがんばっても絶対に届かない目標に、意味なんてないよ。
自分で自分の学習にハードルを設けないで。

そして、ミスリードを誘うようなタイトルを安易に使わないで。
たかが言葉、されど言葉。
そういうタイトルを読めば読むほどに、自己暗示をかけてしまう。

 

だったら、逆に暗示をかけてしまおう。
心の中で三回唱えよう。

完璧なんてない、完璧なんてない完璧なんてない

 

 

では、僕から以上っ!! 

※ 英語を知識競争にして、あらゆるものに点数をつけて、「英語"力"」という数値化されたパワーを競わせる今の教育も問題だとは思うんだけどね~。

 

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