帰国子女の悩みドコロ

帰国子女の悩みドコロ

帰国子女にだって、悩みくらいあるもんだ。そんな自身の悩みを学問として追及していたら、大学院にまで来てしまったというお話。

「米国史上最悪の銃乱射事件」 死傷者の数より語るべきこと

10月1日(日本時間では2日)、米国ラスベガスにおいて銃乱射事件が起きた。

テレビを一瞬でも見ていた人ならすでに事件の詳細は知っているだろうから、事件の映像へのリンク等は一切行わないし、写真も貼らない。

テレビを点けて見ればどこも似たような報道。
どの局でも犯人の顔がデカデカと報じられ、テロップに流れるのは死傷者の数。
そして、「米国史上最悪の銃乱射事件」というフレーズが何かしらの形で現れる。

"The worst mass shooting in American history"
"The deadliest mass shooting the country has ever seen"

この日、アメリカはその「史上最悪」の記録を更新することとなった。
2016年におきた、フロリダ州でのナイトクラブ銃乱射事件からたった一年の期間を経て。

 

死傷者の規模で言えば、確かに今まででの「最高値」なのだろう。
でも、本当に大事なのはそこなのだろうか?

死傷者が100人だろうが、10人だろうが、1人だろうが。
被害に遭った本人と遺族にとって、それは常に「史上最悪」のコトである。

そこに被害の総数なんて関係ない。
被害の合計が高いから痛ましい事件なのではない。
巻き込まれた日本人の数がゼロか否かが大事なのではない。

「史上最悪」かどうかが、そんなに大事なのだろうか。

 

犯人像についても語らねばならない。
現在多くのメディアにおいて、今回の事件が「テロか否か」について議論が噴出している。
テロリズム」という単語が「イスラム過激派」というイメージに結び付けられ過ぎた結果、人々は犯人が地元民であったという事実を中々に消化できないでいる。

犯人が目に見えた「テロリスト」なら世論は団結しただろう。
よそ者を排除せよ。
アメリカをもう一度素晴らしい国へ。

でも、犯人像が明らかになりつつある今、アメリカの世論は混乱している。
それは事件の報道に関するYouTubeビデオのコメント欄を見れば一目瞭然だ。
もはや読んでいて眩暈がするほどに、それらのコメントは荒れている。

一方が犯人の政治思想や精神状態を論じる中、もう一方は銃規制を訴える。
つまりは「武器そのものに罪があるのか、所有者に罪があるのか」の議論。
銃乱射事件が起きる度に巻き起こる、全く同じ議論。

このような事件が起きると必ず政治家や一部の人々が言うセリフ。

「こんな非常時に銃規制うんぬんの話をするのは不謹慎だ。」

では、いつ議論すればいいのだろうか。
銃による被害が日常的に起きている中、いつ銃規制の話をすればいいのだろうか。
たった一年の間に「史上最悪」の記録が2度更新される中、いつ議論すればいいのか。

そして、海の向こうの話だからと「銃社会って怖いな~」で終わらせて良い話だろうか。
直接日本に被害が無かったからと言って、数日盛り上がればいいだけの話だろうか。

 

悲しいことが、最近本当に多すぎる。
多すぎて、冷静に一つ一つのことを考えていられないのかもしれない。

 

先日、中央線が朝から人身事故で大幅に遅れた時のこと。
朝食のパンを食べながら父親の言った一言が忘れられない。

「うわぁ、こりゃオフィスに間に合わないなー。いい迷惑だよ全く。」

なんてことない日常の風景の中に、この「人身事故」はあった。
自殺だろうと、人間1人がその命に終わりを迎えた。
その瞬間はあまりにも呆気なく、面識も関係も無い我が家ではその無くなった命に対する思いなど1ミリも無かった

自ら選んで行った自殺と、今回の銃乱射は確かにまるで違う話だ。
でも、僕らはこういった自分と無関係の「死」に簡単に慣れてしまえるのではないか。
ラスベガスの一件も、数日も経てば僕らの日常から消えてゆくだろう。

アメリカの現状も似たようなものだと思う。
銃乱射事件が起きる度に銃規制の話題が過熱し、ほとぼりが冷めた頃にまた事件が起きる。
規制は進まず、ただ虚しさと無力さが残る。
そうして、いちいち考えていたら疲れてしまうから、人々は次第に「慣れてゆく」。
議論をすること自体に、疲れてゆく。

 

10月現在、アメリカにおける2017年の銃による死者の数は11600人。
それは、8月末までの日本における今年の自殺者数14600人よりも少ない。

「総数」という形で話しをするならば、現実はそんなものなのだ。
人の手によるものか、自分の手によるものかという差は大きいとは言え、「命の数」で言えばこれだけの悲劇が僕らの周りで日常的に起きている。

僕らは忘れてはいけない。

被害の規模が「史上最悪」だろうとなんだろうと、残された遺族や関係者にとっては、それは「慣れること」など出来ない残酷な現実であるということを。

死傷者の総数よりも、伝えるべき大事なことが、一杯あるんじゃないだろうか。
被害の規模にのみ話が終始するならば、今後必ず今回を上回る事件が起きるであろう。

 

今の僕らには何ができるのだろうか。
慣れて、前に進めてしまう「無関係」な僕らには、一体何ができるのだろう・・・。

 

まとまりのない文章で申し訳ないです。
自分の考えをまとめる為に書いたのですが、やっぱりそんな簡単に書けるものじゃないですね。

しっかりと向き合って、答えが出なくとも考え続けることが、今の僕に出来る事だと思います。

 

 

では。

 

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参考にしたサイト

http://www.gunviolencearchive.org/

https://www.npa.go.jp/publications/statistics/safetylife/jisatsu.html

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