帰国子女の悩みドコロ

帰国子女の悩みドコロ

帰国子女にだって、悩みくらいあるもんだ。そんな自身の悩みを学問として追及していたら、大学院にまで来てしまったというお話。

継続できる強さと、辞められない臆病さは紙一重

本日のテーマ  
桐島、部活やめたくてもやめられないってよ

 

どーもー、おりばーです。

 

「継続は力なり」。
その言葉の示す通り、何かを諦めずに続けるということは一種の美徳と言えよう。
辛い時を耐え抜き、それでも続ける覚悟と精神力!
確かに、カッコいいよね。

一方で、「本当に辛かったら逃げても良いんだよ」。
そんな言葉も最近聞かれるようになってきている。
自分に合わなければ無理に続けなくていい、逃げることは悪いことじゃないんだ!
つい先日、仕事を辞めたいと相談してきた同期にそんなアドバイスをしてしまった。

 

でも。。。

何かを継続して続けることの大切さ。
自分の為にならないと思った物を切り捨てる勇気。

これらの境界線って凄く難しいと思うんだ。

今日は、続ける勇気と辞められない臆病さが如何に紙一重かについて考えてみたいと思う。

 

部活動に苦しんだ中学高校時代

 

f:id:practice_makes_better:20170721223949j:plain

僕は極度の運動音痴だ。
体力測定では毎年結果の用紙をすぐにカバンに隠して、親にも見せなかった。
体育の先生に、「真面目にやってるのか?」と疑われるほど、動きが遅い・固い。

そんな僕にとって、運動部での活動はかなりのハードルだった。

アメリカから帰国して間もない中学生の頃の話。
居場所と友達を求めて僕は無謀にも体育会系の部活に入ることに決めた

運動音痴の僕には厳しい激しい運動と、それ以上に厳しい精神的なプレッシャー。
先輩からの極端な「指導」に毎日嫌気がさし、中1の時点で僕は限界を迎えた。

「よし、部活をサボろう」

そう決心した僕は同級生のケースケと共に、授業終了後、速やかに帰宅した。
いや、しようとした。

あいにく、廊下で先輩とすれ違い、僕らの計画は無に帰した。
翌朝、校内放送で顧問に呼び出され、説教。
ますます部活を辞められない空気になってしまった。

中高一貫校という事もあり、中学卒業時にも辞めることが出来ず。
結局僕は中高6年間その部活動を嫌々続けることになってしまったのだ。

部活がある日はいつも心がキューーーっと締め付けられる。
夏合宿の一か月前から吐き気がする。
顧問や先輩とすれ違うだけで足がすくむ。
そんな状態でも、結果として僕は6年間「継続」したのだ。

 

その「継続」は強さか弱さか?

 

部活が本当に嫌で、辛くて、辞めたくて仕方がなかった。
それでも僕が続けたのは、何事も諦めない強さとタフさがあったからではない。

 

辞める勇気がなかったんだ。

 

同期に嫌われたくない。
途中で投げ出したらカッコ悪い。
他の皆も同じだけ辛い中頑張ってるのに、自分だけ逃げるなんて・・・。

覚悟を持って続けたんじゃない。
辞める事より楽な、ダラダラ続けるという道を選んだのだ。

 

「辛かったら逃げても良い」って言うけど

 

f:id:practice_makes_better:20170721224210j:plain

何かを変える・辞めるには覚悟が必要だ。
そしてその覚悟は、辞めずに嫌々続けることよりも遥かに体力と精神力を使う。

「本当に無理だと思ったら辞めちゃえばいい」

そんなアドバイスをする人が居るだろう。
けど、辞める事って嫌々続けるよりもずーーーーーーっと難しい!
僕はそう思う。

現状がどれだけ苦しいのか痛いほど分かっていても。
それでも、変革に動き出す力が、勇気が出ない。
そういう人、沢山いるんじゃないだろうか?

 

結果論にしかならない

 

続けて本当に良かったのか。
辞めて正解だったのか。

その答えが分かるのは何時だって遠い未来。
数か月、数年経ってから振り返って初めて感じること。

あの時諦めずに続けていたら・・・。
あの時勇気を出して辞めていたら・・・。
自らが取らなかった選択肢は、いつだって後悔として残る。

同様に、結果的にその行動が正解だったかどうかは、後からいくらでも正当化できる

僕は部活を辞めなくてよかったと今は思っている。
辛い瞬間を乗り越えられた、その経験が今の僕にとって大きな財産になっている。

でも、部活を辞めていたとしたら、それはそれで美談となっていただろう。
「辛い時に、周りに流されずに自分の道を切り開けた勇気と覚悟が自分の財産だ。」
そんな風にね。

こんなの、結果論として何とだって言えてしまう。
辞める覚悟も、継続する覚悟も、後から言い繕えばいくらでも正当化出来るんだ。

だとしたら、一体何に従って選択を行えばいいのだろうか?

 

今の自分の感情に従う勇気

 

僕は、どんなことがあっても結果的には良かったと思い込む人間だ。
本当に辛い経験も、「良い学びになった」と言い切る。
上手く行かなかったことがあったら、「失敗が成長に繋がる」と言い聞かせる。

そうやって、後からなんだって正当化できるのなら、本当に大事なものはなんなのか。

それは、「今の自分の感情に従う」ことではないだろうか?

感情に任せて辞めたって後悔は付き物。
同じく、感情を押し殺して続けても後悔は付き物。
もしあーしてれば、こーしてれば。
その後悔は少なからず常に付きまとう

だったら、感情にもう少し率直に生きてもいいんじゃないだろうか?

「他の皆も辛い中頑張ってるのに・・・」という悩みもあるだろう。

でも、自分の辛さや痛みは他人と数値化して比べられるものじゃない
他の人が大丈夫な痛みでも、自分にとっては深い心の傷にだって成る。
自分が「辛い」と思ったら、それは疑いもなく「辛い」ことなんだ。
共感を得られない痛みだって、痛みであることに変わりはないんだ。

だったら、僕はもう少し今の自分に素直に生きてみたい。

f:id:practice_makes_better:20170721224410j:plain

いや、そう生きてゆけるように努力をしていきたい。
周りを気にして、辛くても辞めるに辞められない僕だからこそ。
「自己中に生きてやる」、覚悟を決めてそう言い切ってやりたい。

自分の人生を歩めるのは自分だけだし、自分の感情は自分でしか感じられない。
皆が各々の人生を、後悔や選択をしながら生きているんだ。

自分中心で生きてあげられるのは、自分だけ。

辞めるのも続けるのも、周りがどうこうじゃなくて自分で決める!
「自分の判断を信じる勇気」、それを持つことから一緒に始めてみようじゃんか。

 

では、僕から以上っ!!