帰国子女の悩みドコロ

帰国子女の悩みドコロ

帰国子女にだって、悩みくらいあるもんだ。そんな自身の悩みを学問として追及していたら、大学院にまで来てしまったというお話。

他人の留学を「遊学」とか「無駄」だとか決めつけるな

本日のテーマ
「俺の留学の方がスゲーから!」

 

どーもー、おりばーです。

「遊学」って言葉、聞いたことある?

ゆうがく【遊学】の意味 - goo国語辞書

故郷を離れ、よその土地や国へ行って勉学すること。

という本来の使い方とは違う意味が、最近広まり始めているのを知ってた?
最近使われている「遊学」という言葉は・・・

  • 「留学」の名のもとに、ぜんぜん勉強せず「遊び」まくること
  • 目的意識も勉強に対する意識も低い「留学」

のように、「留学」という言葉に「遊ぶ」を組み合わせて作られた造語として使われている。

お察しのとおり、「遊学」はポジティブな意味では使われない。

 

お前の留学なんて、どうせ「遊学」だろ?
全然勉強してなかったくせに留学したとか言うな!
そんなんで「留学した」とか言われたくねーよ。

という感じに、人様の留学をバカにしたり、否定するために使われる。

そんな、本来の意味から離れて悪口として広まりつつあるこの「遊学」という言葉。
今日は、勉強だけが「学び」なのか、そして他人の留学に文句を付ける行動の生産性の無さについて、一緒に考えてゆこう!

 

 

机に向かう時間だけが「学び」なのか?

 

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海外において勉学をする。

確かに、「留学」という言葉の意味で見れば、勉強するという点が大事なのはわかる。
特に高校や大学における交換留学なら、現地での単位や成績がとても大事になる。
留学における勉学の重要性なんて、説明しなくともみんな分かっている。

でも、留学の「学」は何も「勉学」だけではない。

「遊学」とは、勉学に励まず、海外で遊びまわっている人に対する蔑称。
クラブ活動、飲み会、観光。
勉強以外への比重が大きい留学は「遊学」やら「無駄」だと馬鹿にされてしまう。

でも考えてほしい。

授業や教科書から受け取る情報だけが「学び」なのだろうか?
クラブ活動、パブでの交流、観光地を巡ることから得られる「学び」はないのだろうか?

机に向かっている時間が長ければ良いだなんて思っているなら、そんな考えは即座に捨てよう。

授業を静かに聞いて、ノートをとって、宿題やって、テストで良い点とって。
毎日授業にただ出席するだけの受動的な「学び」

自分から積極的に社交の場に出て、会話して、交流して、という能動的な「学び」。

どっちが優れているかなんて議論をする意味も全くない。
勉学をしに海外に来たのならば、思う存分勉学に励めばいい。
友達を作ったり、異国の文化を肌で感じたいと思うのならば、思う存分に社交をすればいい。

「留学」のモチベーションも目的も人それぞれ。
自分が満足できる留学ができているのならば、誰が文句を言おうと関係ない。

 

留学先で勉強することは偉いことなのか?


勉強していない人は遊びたいだけの怠け者で、勉強している自分は偉い?

人に褒められたくて留学をしているのなら、一度目標からモチベーションまで考え直してもいいんじゃないだろうか。

大金を払って海外を満喫しながら、勉強をこなしているだけで褒められる。
留学とは、単純に言ってしまえばそういうことだ。

留学は学びにあふれた素晴らしいものだ。
自分という人間を成長させるチャンスにあふれている。
でも、留学することを「偉い」ことだと考えているのなら、それは勘違いに過ぎない

 

留学を他人と比較する意味なんてない

 

「自分の留学のほうが大変だった」
「自分の留学のほうがすごかった」

自分と他人の留学を比べて、人の留学を馬鹿にすることに意味はあるのだろうか?

留学先で必死に勉強して、毎日大変な思いをしている。
授業も難しいし、課題も多いし、とにかく忙しい。

そんな中、毎日遊ぶばっかりで、全然勉強してない奴がいる。
そいつも同じ「留学生」と呼ばれているのが納得いかない。


その気持ちは分からないわけではない。
留学先での勉強は、本当に忙しく、根性の要るものだ。
自分ももっと遊びたいな~、なんて思う瞬間もあるだろう。

 

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そういう時は、留学に行きたい!と思ったときの初心にかえると良い。

自分が留学をしたい理由は何か?
人生の貴重な時間とお金を使って、わざわざ単身で見知らぬ土地に来た理由は何か?

勉学に励みたいと思っていたのなら、弱音を吐いている場合じゃない。
もっと友達作ったり、ショッピングしたり、お出かけしたり、そういう生活が海外でしてみたかったと思うのなら、ためらう必要なんてない。

「勉学」以外のすべての活動を「怠け」だと決め付けず、勉強と同じくらい「学び」にあふれているチャンスだと考えるべきだ。

他人にどう思われているかを気にしすぎて、やりたいことをやれない「留学」を過ごすのは、それこそ本当に勿体無い。

誰の留学のほうが大変だとか、優れているかなんて、全くもって意味のない比較だ。

気にすべきは、他人にどう思われているかじゃなく、自分が納得しているかどうか。
ただその一点のみ。

 

留学は「学び」の宝庫

 

留学とは、何も海外の言語・文化を学ぶことだけじゃない。

異なる文化を学ぶことは、自分の文化を見つめなおすキッカケになる。
新しい言語を学ぶことは、自分の言語について考えるキッカケになる

海外での「学び」は、日本や過去の自分に対する「気づき」につながる。

そう考えると、留学とはまさに「学び」の宝庫。

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友達と出かけるのだって「学び」。
見知らぬ街で迷子になるのだって「学び」。
授業についていけなくて悔しい思いをするのも「学び」。
ホームシックになって、日本のことを恋しく思うのも「学び」。

「学び」のチャンスはそこら中にあふれてる。

大事なのは、それらの「学び」のキッカケに気づけること。

「学び」は教室の中でしか起きない。
勉強することだけが「学び」だ。

そのような考え方から抜け出そう。
じゃないと自分を成長させるチャンスをどんどん見逃してしまう。

留学に限らず、「学び」は常にまわりにあふれている。
それに気づき、手を伸ばせるかどうかは、何時だって「あなた」次第。

 

ポジティブな嫉妬をしよう

 

「遊学」という言葉を使う人の中には、留学する時間やお金がなくて、自分では行けないからこそ、そのチャンスを「無駄」にしている人を認めたくない。
という思いの人も少なからず居るだろう。

学部時代の僕も、まさにそうだった。
留学に行っている友人たちが、「勉強だりー」とか「授業サボったわ」なんて言っているのを聞いて、イライラしていた。

「僕は海外で勉強したくてたまらないのに!なんて勿体無いことしてるんだ!」

自分でチャンスを掴む努力を十分にしていなかったにも関わらず、他人の留学が羨ましくてたまらなかった。

素直に、嫉妬していた。

でも、自分の価値や基準で「勿体無い」と思うものでも、その人にとってそれがどのような「学び」になっているかなんて、本人にしか分からない。

「僕の考える理想の留学と違うから、君の留学は無駄だ」なんて決め付けるのは間違いだ。

「勿体無い」と自分の中で感じる分には問題ない。
いや、むしろその嫉妬自体は良いものなのかもしれない。

僕ならこうする。
僕だったらこういう留学をする。
その気持ちをポジティブな方向に繋げてみよう。

他人の留学を否定することにエネルギーを使うんじゃなくて、自分の理想の留学を叶えるための原動力として、その嫉妬を使えばいい。

叶えたい理想があるからこそ、「勿体無い」と思うのだろう。
イライラなんてしてないで、さっさとそのチャンスを掴む努力を全力でやればいい。

他人の留学を「遊学」やら「無駄」やら言っている時間こそ、本当に「勿体ない」のだから。

 

結論!留学を他人と比べることに意味なんてない。

 

本来とは全く異なる意味で、広まり始めている「遊学」という言葉。
上から目線で他人の留学を評価しているようで、好きになれない言葉だ。
でも、こんな言葉が生まれるくらい、留学が身近になっているという証拠なのかもしれない。

様々な奨学金、交換留学の充実、私費留学をサポートするサービスの拡大。

留学は今までにないくらい、身近な存在になってきている。
みんなが留学しているとなると、どうしても「差」をつけないと気が済まない人も居るだろう。

自分の留学のほうが凄い。
俺の留学のほうが大変だった。
お前の留学は「留学」とは呼ばない。

そんな言葉を使うことに意味なんてない。
何時だって肝心なのは、自分にとってどれだけ納得のいく留学だったかということ。
ただそれだけなんだから。

そんなに素晴らしい留学ができたのなら、それでいいじゃないか。
他人の留学を否定することでしか自分の留学に誇りを見出せないのなら、それこそ本当に「無駄」な時間を過ごしていたのだろう。

 

改めて自分に問いかけてみるのも良いのかも知れない。

 

「あなた」は、自分の留学に満足できていますか?

 

 

では、僕から以上っ!!