帰国子女の悩みドコロ

帰国子女の悩みドコロ

帰国子女にだって、悩みくらいあるもんだ。そんな自身の悩みを学問として追及していたら、大学院にまで来てしまったというお話。

ホームシックは弱さじゃない

本日のテーマ  
ネスはいえがこいしくなった。

 

どーもー、おりばーです。

留学をしている際に、多くの人が、様々な形で体験する「ホームシック」
それは旅立った「巣」への愛着であり、未練である。

僕たちは、そのホームシックを、心の弱さとして考えていないだろうか?

折角努力して、一人はるばる遠くの国までやって来た。
その決断・決意に対する揺らぎのように考えてしまっていないだろうか?

 

先に断言しておこう。
ホームシックになるのは、君が弱いからではない。

 

 

留学で得るものとは?

 

留学に行ったら人は何を得て学ぶのか。

海外の文化、海外の言語、海外の友人。
勿論それらもあるだろう。

でも、留学とは、なにも違う景色や価値観に触れるだけのものでは無い。

自分とは一見異なるものを見て体験して、そこから似ている点を見つけ出したり、違いを乗り越えて分かり合える点・分かり合えない点について実感したり、そしてなにより、それらの価値観や世界観の変動によって今までの「自」が広まることこそ、留学での学びだと僕は思う。

自分のこと。
自分の言語のこと。
自分の家族のこと。
自分の友人関係のこと。
自分の価値観や恋愛観のこと。

留学に行くと世界が広がる。
それは、「世界は本当に広いな」という実感と、「自分も本当に色々あるな」という実感、それらの二つの側面があるのだと僕は考える。

留学は、これまでの自分と、自分の世界について振り返る、最高の機会だ。
日本のコンビニの有難みだったり、家族の暖かさだったり、玄関で靴を脱ぐことの素晴らしさだったり、シャワーの温度調節が簡単に出来る嬉しさだったり。

些細なことでもいい。
そこには「自」についての学びと気付きが溢れている。

 

ホームシックとはその学びに気づけたという証 

 

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僕も留学中にホームシックを経験した。

些細なストレスから、結構な理不尽まで、本当に様々なことの積み重ねの結果、僕は留学開始から半年ごろにホームシックになった。

ちゃんとした日本食が食べたい。
日本の友達と会いたい。
ペットに会いたい。
家族に会いたい。
帰りたい。

留学先での学業や人間関係は順調だったのに、ふとした瞬間に大学の頃の写真を振り返っていたり、昔の思い出を掘り起こしている自分に気が付いた。

それは、海外が嫌いになったというわけじゃない
むしろ、日本が好き、そういう気持ちだった
日本という国の風土、日本に居る人々、これまでの自分の歩み、学び、経験、作ってきたコミュニティ、あらゆるものの有難みを痛感し、同時にそれらが恋しくなる。

そんな気持ちだった。

それは、日本に残っていたら当たり前すぎて気が付けなかったものかもしれない。

今の自分が、生まれ育った場所とは違う土地に来て、関わったことの無い人や物に囲まれている。
その状況を可能にしてくれたのは、自分をここまで来させてくれたのは、今までの経験や出会い。

そう思うと、もの凄くホームシックになった。

生まれ育った環境を恋しく思い、関わってきた人々を懐かしむ、その気持ちのどこが「弱さ」なのだろうか?
うしろ髪を引かれるような思いをするのは、「今」の自分がいるのが「過去」のおかげだと気が付けたから。

未来を見据える力と、過去を振り返ってそこから学ぶ力。
どちらが良い悪いではなく、どちらも成長への大事な過程なのだと思う。

 

ホームシックは受け入れるもの

 

そんなホームシックは、home"sick"というけど、病気ではない。
克服すべきものでもなければ、「乗り越えなきゃ」というものでもない。

僕は受け入れるものだと思う。

「あぁ、日本が恋しいんだな」
そう認めてあげる事が、なによりも大事なのだと思う。

 

ホームシックはある日、突然やってくる。
大事なのは、その到来を事実として受け止めて、認めてあげること。
自分が「今」感じている気持ちを、正直に受け入れてあげること。

留学生活というもの、時には立ち止まる必要もある。
がむしゃらに前だけ見続けることが、「強さ」ってわけじゃないんだから。

 

では、僕から以上っ!!