University of ○○ と ○○ University の違いについて
英語における大学名
どーもー、おりばーです。
本日の通学中に面白い記事を見かけた。
lfk.hatenablog.com丁寧にまとめてあって、とても読みやすい!
素敵なブログを見つけたものだ。
その中でこのような文が引用されている。
University of Meiji Tennis Club
いうまでもなく, 明治大学のことを英語で言えば正確な名称は Meiji University であり University of Meiji (明治な大学)という英語はありえない. p82
※ あくまでその一文を見ただけの感想で、文脈全体を把握してるわけじゃない。
もしかしたら前後の文で補足してあるのかも??
なるほど。
確かに、University of Meiji という表現は不適切かもしれない。
でも、僕は現に University of ○○ という場所に通っている。
バリバリの英語圏でだ。
調べてみれば、University of ○○ なんて調べれば幾らでも出てくる。
んじゃ、University of ~ と ~ University の違いはなんなんだろうか。
そして、そんなことにそこまで頭を悩ます必要があるのか。
今日はさっくり考えてみよう。
- University of ○○ の○○に入る言葉のルール
- なぜ University of Meiji だと変なのか?
- そんな意地悪な読み方する奴はいない
- アカデミックイングリッシュなら話は別
- 結論!実は僕も人のこと言えない。
University of ○○ の○○に入る言葉のルール
University of ○○ の○○の部分に入る言葉は、何でもOKってわけじゃない。
基本的に二つのパターンがある。
土地や場所の名前
University of London
University of Washington
University of Edinburgh
のように、ロンドンの大学、ワシントンの大学、エディンバラの大学という形ならば、University of ~ で何ら問題ない。
どこも土地の固有名詞が続いている。
その理屈で行けば、東京大学が The University of Tokyo なのも納得がいくだろう。
専門分野
土地や地名以外にも、専門分野を○○に入れる学校もある。
だけど、その場合のほとんどがその後に場所も明記している。
University of Technology Sydney
University of Electronic Science and Technology of China
○○という専門分野を扱っている大学ですよ。
という風な表現として、of を使うところもある。
でも、専門分野だけだと世界中のどこにあるか分からない。
同じ専門を扱うほかの大学と被らないためにも、基本的には場所も含めた名前になっている。
なぜ University of Meiji だと変なのか?
では、なぜ University of Meiji という表現じゃあ駄目なのか?
上の二つのルールに照らし合わせれば、答えは簡単。
「明治」という場所にあるわけではないからだ。
「明治」という土地に位置する大学でもなければ、「明治」を専門分野として扱っている大学でもない。
上で示したどちらのパターンにも当てはまらないのだ。
University of Meiji Tennis Club となると、"Meiji Tennis Club" の全てに of を繋げられてしまう。
「明治時代のテニスクラブを専門的に研究する大学」と読めてしまう恐れがある。
あ~恐ろしい!
今まで何気なく使っていた英語が、こんな大誤解を生んでいたなんて!
と思う必要は全くない。
さて、ここからが本題。
そんな意地悪な読み方する奴はいない
確かに、文法や単語のみで判断すれば、そのような変な解釈も可能だ。
でも、実際にそんな読み取り方をする人なんて居ない。
少し変だよね、とクスッと笑えることがあっても、本気で明治時代のテニスを研究する大学だと勘違いする人なんて居るものか。
断言しよう。
そんな奴は100%いない。
居るとしたら、ワザと意地悪をしようとしている人だけだ。
何故かって?
文脈や社会的に構成された知識が言語に意味を与えるからだ。
文法や、文の中の単語だけで文の意味が成り立っているわけではない。
文脈や状況を無視して、一部だけの単語を抜き出せば、そりゃ確かに変なこともある。
でも英語に限らず、僕らの使う言葉は、いつだって使われている状況によってその意味を与えられる。
元の記事のブックマークコメント欄にこんな意見があった。
「日本人の英語」は難しすぎる - Letter from Kyoto
「私はたぬき」「僕きつね」「俺山菜」言語には何語であっても文脈というものがありましてね。
2017/04/05 06:20
id:drinkmee さんのおっしゃる通り。
うどん屋での注文の場面を想像しよう。
動物のたぬきを食べる、動物のキツネを食べるだなんて思う人はいないだろう。
また、タヌキとキツネが登場する絵本を想像しよう。
「山菜」という奇抜なキャラクターが現れたと解釈できなくもない。
「俺」という言葉から分かるように、「山菜」君は少し背伸びした青年なのかもしれない。
たぬき、キツネ、山菜。
これらの単語を、文法と単語だけで解釈する。
それは、文脈が作り出した言葉の意味を全くもって無視してしまう。
このコメントを引用して、日本人はタヌキやキツネを食べる野蛮な一族だ!
なんて本を出そうと思えば出せるのかもしれない。
「ここが変だよ日本人!!」なんてタイトルはどうだろうか。
文脈や、社会がその言葉に与えている意味を考えず、一部の単語だけを抜き出して批評しても意味がない。
そして、実際にそんな捻じ曲がった解釈をする人なんてほとんど居ない。
日本人の英語が笑われる。
日本人の英語は間違いだらけ。
こういう宣伝文句の本はもうウンザリ。
そんな湾曲された解釈をする人なんて居ないのに、学習者の不安を煽って売り上げを伸ばす。
いちいち細かいミスを指摘してくる人なんて、滅多にいないのに。
第一、あいにくな事に僕らは顔を見られた時点で「英語ができない」と判断される人種だ。
practicemakesbetter.hatenablog.com
最初から期待されていないのに、そんな意地悪な解釈する人なんていないよ。
アカデミックイングリッシュなら話は別
最後にひとつだけ。
この本の著者であるマーク・ピーターセンは明治大学の教授だ。
彼の言いたいことは、何も日常会話における英語の話ではない。
学術論文などに使う、アカデミックイングリッシュについて書いているのかもしれない。
アカデミックイングリッシュは日常会話の英語とはまるで違う。
文法や構造について、専門的な知識が必要だ。
だから英語圏の大学生もアカデミックイングリッシュは自然とは身につかず、しっかりと方法論を学ぶ必要がある。
でも、英語で論文でも書かない限り、そのような英語を使う必要はない。
そのため、確かにアカデミックな英語なら文法や構造が大事でも、それは多くの人が学んでいる英語とは分けて考えるべきだろう。
結論!実は僕も人のこと言えない。
文脈を考えず、一部だけの言葉を切り取って考えてはいけない。
元の本を読まず、一部だけを切り取って批評している点では、僕も全く人のこと言えない。
なんという特大ブーメラン。
こりゃ参った。
では、僕から以上っ!!
P.S. 書き終えてからもう一度ブコメ欄に戻ると、こんなコメントが。
「日本人の英語」は難しすぎる - Letter from Kyoto
大学のofあるなしは「地名かどうか」が基本。だいたい「の」と同じだと思えば良い。「東京の大学」「京都の大学」とは言えるが、「同志社の大学」「立命の大学」とは言えない。
2017/04/05 10:43
なんて的確にまとめてあるんだ・・・。
僕が記事書いた意味、ないじゃんか。
短くても伝わる言葉が書けるって素敵だな~。
id:knagayama さん、見習います。