帰国子女の悩みドコロ

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帰国子女の悩みドコロ

帰国子女にだって、悩みくらいあるもんだ。そんな自身の悩みを学問として追及していたら、大学院にまで来てしまったというお話。

「帰国子女ってずるい」と「帰国子女が羨ましい」は全然違う

帰国子女 英語

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どーもー、おりばーです。


今日のテーマは「言葉」。

 

「帰国子女ってずるくない?」

 

初めて会った人から、
クラスメートから、
互いをよく知る友人から、

今までの人生の中でというほど聞いてきたこの言葉。
何気なく使ってる人が多いと思うけど、僕は結構コイツに傷つけられてきた。

 

「帰国子女」という道は、自らの手で選んだものじゃない。
「帰国子女」というレッテルも、他人から貼られたものに過ぎない。

 
自分の力ではどうしようもない、他人の都合で決められた肩書きを、背負って生きなければならない。

 

そんな帰国子女たちは、 なぜ
「ずるい」
と言われるのか。一緒に考えてみよう。

 

 

 

帰国子女は楽をしているのか?

 

「帰国子女は楽でいいよなー」、
「人生イージーモードだよなー」、

なんて言われたことないだろうか?
こう言われる背景について考えてみると、やはり大きな要因となっているのが、

「英語」である。

 

帰国子女と英語の切っても切れない関係

 

以前の投稿でも話したけど、


帰国子女が全員英語を使って生活をしていた、と決め付けるのは明らかな誤り

しかし、やはり世間一般において、「帰国子女=英語が出来る」という誤解が定着している。

理由として考えられるのは以下の二つ。

 

1: 英語圏またはインターナショナルスクールから来る割合が多い

 

日本から海外赴任するとなると、赴任先としてはやはり先進国が多いのではないだろうか。

途上国からの帰国子女も大勢居るけれども、海外赴任者の多くは、先進国の都市部でグローバル企業で働いているのではないだろうか?
海外に支店を持つ企業や、逆に日本が支店である海外企業などがこれにあたる。

そういった国に赴任するというときに、大事になるのが「親の決断」である。

 

多くの帰国子女とは違い、親の大半は「日本にいつか帰る」ということを強く意識している。
どのような学校に子供を入れるべきか、帰国後の苦労をなるべく減らすよう、色々と選択肢を考慮したはずだ。

そうすると考えてしまうのが、英語の重要性だ。

ただの言語であり、コミュニケーションのツールである英語が、日本そして国際社会において多大なる付加価値を与えられている。

 

英語でコミュニケーションが取れる、というのは言ってみれば国際社会に参加するためのチケットとして扱われている。

英語帝国主義という言葉があるように、その付加価値に疑問を示している人も多い。
確かに重要な議題ではあるけど、現状として、今の社会における英語の価値を否定できる人は居ないだろう。

親としては、子どもに良かれと思って、英語圏を赴任先に選んだり、インターナショナルスクールにわざわざ高い授業料を払って通わせたりする。

子どもの将来を思ってそのように決断することは何も間違っていないし、むしろ感謝すべきところだろう。

 

実際に英語圏から、インターナショナルスクールから来る人が多い。

だからこそ「帰国子女=英語が出来る」という勘違いが定着しているのではないだろうか。

 

そしてもう一つの理由としてあるのが、そんな人たちが特に目立つからである。

 

② 英語が日本のカリキュラムにおいて必修だからこそ目立ってしまう

 

何度も言うように、英語圏以外からの帰国子女も大勢居ることを忘れてはいけない。
しかし、英語以外の第二言語を必修科目として扱っている中学高校がどれだけあるだろうか?

帰国子女がウザイ調子に乗っている、と思われてしまう一番の原因は英語の授業にある。

中高6年間の必修授業を通して、クラスメートは帰国子女の英語を目の当たりにする。
英語の授業さえなければ、帰国子女であることすら気づかれなかった、なんてこともあるのではないだろうか。

見せびらかそうとしているわけでもないし、調子に乗っているわけでもない。
けれども、
英語の授業に参加しなくてはならない以上、テストの点や、授業中の発音等で、どうしても他者の目に留まってしまう。

 

目立ってしまうのだ。

 

英語圏以外の帰国子女があまり意識されないのは、そこの違いが大きいと思う。

英語圏からの帰国子女は、晒される回数が極端に多く、目立たないようにするのが難しい。

僕のように、
授業中の音読をしない。
教師に指名されて止むを得ない時はあえて発音を崩す。
テストは返却されたらすぐに隠す。

このような生産性のないことをして、目立たないように必死に足掻いても、どうしたって無理がある。

 

英語圏の帰国子女は、それだけ目立たないことが難しい、それを分かってもらいたい。


英語圏からの人が多く、
目立たざるを得ない状況が多い、

これらの原因が重なり、「帰国子女=英語が出来る」という誤解を生んでいるのだ。

 

それを踏まえた上で、

なぜ「帰国子女はずるい」と言われるのか。
そこにはもう一つの誤解が関係している。

 

「帰国子女=(楽に)英語が出来る」という誤解

 

英語が出来る、ということが原因でずるいと思われるのは、裏を返せば日本の英語教育の失敗を物語っている、と言えなくもない。

みんながこれだけ必死に勉強しても、なかなか英語が出来るようにならない。

なのにお前らはずるいよな!

特に苦労もせずに英語が出来てさ!

こう言った思いが、帰国子女をずるいと感じることに繋がっているのではないだろうか。

日本の英語教育についてはいつかじっくり話すとして、この「特に苦労もせずに」という勘違いが多くの帰国子女を悩ませている。

 

海外に住めば言語が勝手に身につく
今の時代に、未だにこんなことが信じられている。

 

海外留学を例にしても分かるけど、現地で日本人とばかり遊び、Youtube で日本のテレビ番組を見て、日本の友達と毎晩 Skype で会話。
そんなことが今の時代ではいとも簡単に出来てしまう。

メディアのグローバル化が急速に進んでいる今の時代において、身体が海外に置かれているからと言って、英語漬けの生活をしているとは限らない。

海外に身を置きつつ、日本のメディアと、日本語にドップリ漬かった生活を送ることはさほど難しいことではない。

 

海外に住むだけで英語が身につく??

 

違う。

 

本人の努力、意志、行動力無くして、言語を「簡単に」学ぶことなど不可能。

帰国子女達が、ただ環境に任せ、一切の苦労もせずに現地で生活し、なおかつ日本社会に戻ってきて日本の学校に通っている。
本当に心の底からそう信じるのかどうか、今一度問いかけたい。

 

帰国子女は誤解されやすく、悪目立ちしてしまうことも多い。
しかし、彼ら彼女らにはそれぞれ乗り越えてきた苦悩があり、決して「楽」な人生を送ってきたというわけではないのだ。

「特に苦労もせずに」

ここまで生きてきたと思うのなら、それは大きな勘違いだ。

 

では改めて考えよう。
「帰国子女はずるい」のか?

 

「ずるい」という言葉

 

ずる休み、
テストでずるをする、

これらの言葉から感じるように、「ずる」という単語は、嘘や不正、卑怯なことに対して使われる。

goo国語辞書が、デジタル大辞泉から引用した定義によると、

ずる【狡】 の意味
ずるいこと。怠けること。不正をすること。また、その人。
ずる・い【狡い】 の意味
自分の利益を得たりするために、要領よく振る舞うさま。

と書いてある。

つまり、「帰国子女はずるい」というのは、
特に苦労もせずに、正当でない方法で、良い思いをしている。
という、英語で言うところの "Cheating" の意味になる。

これは明らかに間違った認識である。
先ほども述べたように、苦労せずに生きているわけはなく、ましてや不正など行っていない。

しかし、ここで一点とても重要なことがある。

それは、「良い思いをしている」という点だ。

 

ずるいと羨ましいの違い

 

「帰国子女ってずるくない?」

以外に、

「帰国子女って羨ましい」

 

って言われたことはないだろうか?
似ているようで、これらの二つの言葉はまるで違う意味を持つ。

「羨ましい」の定義について、同じくgoo国語辞書で見てみると、

うら‐やまし・い【羨ましい】 の意味

他人の能力や状態をみて、自分もそうありたいと願うさま。

と書かれている。

 

英語でいう "Jealous" であり、先ほどの "Cheating" とは似ても似つかないものである。
相手が卑怯な手段で利益を得ている、それを妬ましく思うことと、自分に無いものを持っている人を見て、妬ましく思うこと、そこには大きな違いがある。

そして、ずるいという決め付けが間違っているとしても、帰国子女を羨ましいと感じる理由について、しっかり考えたことがあるだろうか。

 

帰国子女だって大変なんだ!
羨ましいとか簡単に言うな!

 

その気持ちも良くわかる。
自分の苦悩を理解もせずに羨ましいと言われるのは決して嬉しい気分ではない。
でも、今一度良く考えてみて欲しい。

 

帰国子女は良い思いをしている、それを認めることの大切さ

 

人生を楽に生きている。
苦労なんてしていない。

そう思われるのが嫌なのは痛いほどに良く分かる。
でも、胸に手を当てて正直に考えてみて欲しい。

 

帰国子女に生まれたことで、得をしたこともあるのではないだろうか?

 

勿論すべての帰国子女が、というわけではない。
帰国子女の定義の曖昧さ、範囲の広さについては以前話した通りだ。
僕以上に苦労している帰国子女なんて、そこらじゅうに居るし、僕が皆の代表を気取るつもりもない

でも、帰国子女として生きてきた苦労、乗り越えてきた苦難。
それらを一端おいて、帰国子女だからこそ得られたもの、実はたくさんあるのではないだろうか。

 

僕に関して言えば、
こうして海外の大学院に来れているのも、
海外生活でコミュニケーションに苦労していないのも、
Youtube でアメリカのコメディを見て笑えるのも、
今の友人たちが居るのも、

帰国子女だったからこそ手に入れたものだ。

勿論、努力や苦労をしなかったなんて言うつもりは一切無い。

アイデンティティで苦悩したのも、いじめられたことも、英語を失いかけたことも、 帰国子女だった故に味わった苦悩だ。

それでも、帰国子女である故に、僕が持っている「利益」「特権」。
それらの存在を否定することはどうしてもできない。

僕らが持っているこれらは社会によって与えられた特権。
"Social Privilege"
に他ならない。
自ら欲したつもりもないし、その特権にアグラをかいてるつもりもない。
ラクしたいなんて思ってないし、努力してないなんて思われたくない。

 

けれども、受験においてトップ校ほど英語の配点が高かったり、海外経験の有無が就職活動において重要になったり。

僕らがそれを望まなくとも、現実として今の日本社会において帰国子女は様々な良い思い」をしているのだ。

 

それを忘れてはならない。

 

帰国子女はずるくない。
多くの人に理解してもらえない苦悩や苦労だってたくさんあるし、決して楽な生き方ではない。
でも、羨ましいって思う人たちの苦労や苦悩、それを考えることも大切だ。

 

結論!「ずるい」と「羨ましい」は同じではない!

 

ずるい、

羨ましい、

 

これらの単語をごちゃ混ぜにして使う人も多いだろう。

帰国子女ってずるくない?って問いかけには、
素直に「ずるくない」と答えれば良い。

それと同時に、自分もそうありたいと願う「羨ましい」と言う気持ち。
それを他人が持つ理由と、自分に与えられているものを、改めて考えなければならない。
多くの人が羨むものを与えられている、それを胸に刻みつつ、「ずるい」といった間違った誤解には立ち向かってゆく。

そうやって対話してゆくことで、世間における帰国子女への認識は変わってゆくんじゃないかな。

 

誰の人生の方が楽かだなんて、意味の無い比較はやめて、皆が自分らしく生きられる、そんな日が来ることを心から願おうじゃないかー。

 

 

こんなに長いのに、最後まで読んでくれた「あなた」。

本当にありがとう。

 

では、僕から以上っ!!

 

Thumbnail photo credit: byzantiumbooks UNFAIR via photopin (license)

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