帰国子女の悩みドコロ

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帰国子女にだって、悩みくらいあるもんだ。そんな自身の悩みを学問として追及していたら、大学院にまで来てしまったというお話。

「ネイティブに笑われる英語」なんて宣伝文句はもうやめよう

本日のテーマ
「ネイティブに笑われる英語」

 

 

どーもー、おりばーです。

 

その英語、ネイティブに笑われてますよ!

ネイティブに笑われる言い回しトップ10!

 

なんて記事が出回ってるけど、僕はこういうのを見かける度にガッカリする。
「ネイティブに笑われる英語」というのを気にする人がとにかく多い。

 

英会話や英語教材の宣伝文句も、

日本人の英語の9割が実はネイティブに笑われてます!

ネイティブに笑われないホンモノの英語を身につけませんか?

 

とかそんなんばっかり。
9割ってどこ情報だよ。ホンモノの英語ってなんだよ。
日本人の喋る英語はニセモノって言いたいのだろうか。
そう考えているのならば、その人は教育者としてニセモノだと思うんだけどな。

うーむ、腹立たしい。

確かに、話せるように頑張って勉強したのに、笑われるのは決して心地よい気分ではないだろう。

でも待ってほしい。
本当に「ネイティブに笑われる」ことなんてあるのだろうか?

 

本当に「ネイティブに笑われる」のか?

 

おそらく、一番真っ当な答えは、

ネイティブは他人の発音なんかで笑わない!
日本人が実は一番発音を気にしている!
笑われると思い込んで萎縮するな!
自信を持ってどんどん話すのが一番!

というものだろう。

この意見にはおおむね賛同する。
実際に発音で笑われるケースは、留学先よりも日本国内の方がよほど多く目の当たりにしている。
ネイティブではなく、日本人同士にどう思われているかを気にし過ぎなところもある。

日本人の発音に訛りがあるのは、世界中どこに行っても周知の事実。
むしろ訛りの無い英語なんてないという話はいつかしっかり話すとして、発音に訛りがあるくらいで笑われることはそう無いだろう。
正直な話、初めから流暢な英語が出てくることなんて期待されていないのだから。

 

んじゃ結論として、
「ネイティブに笑われる英語」なんてありません!
で終わらせていいのだろうか。

 

いや、違う。

極端な意見かもしれない。
けれども、あえて言わせてもらいたい。

 

 

ネイティブに笑われない英語なんてない。

 

なぜかって?
一緒に考えてみようじゃないか。

 

ネイティブに笑われない英語はあるのか?

 

日本人が流暢な英語を話せることは、残念ながら最初から期待されていない
いや、これは日本人に限らないんだ。

「アジア圏で生まれたような顔」をしている人から流暢な英語が出てくること、それが未だに信じられない人が大勢いる。
「アジア圏で生まれたような顔」というヒドく差別的短絡的な表現をあえて使わせてもらう。
実際にどこで生まれ、どの文化圏で育ち、何の言語を話して生きてきたかは一切関係ない。

「アジアの血」が顔から感じられれば、その人は英語ができないという決めつけ。

そんなあまりにも単純で、今の時代にそぐわない考えを未だに持っている国。
それには僕らが「ネイティブ」と称賛するアメリカイギリスも含まれている。

 

#thisis2016 アジア系アメリカ人の苦悩

 

"Asian American" のことを知っているだろうか?

アメリカに住む、アメリカ生まれの、「アジア系」のアメリカ人
彼ら彼女らは疑う余地もなくアメリカ人だ。
生まれも育ちもアメリカで、ただ見た目が「アジア系」というだけのこと。

でも見た目が「アジア系」というだけの理由で、アメリカ社会でどれだけの苦労と、不公平・不条理を強いられているか考えたことがあるだろうか。

 

#thisis2016 というハッシュタグのもと、多くのアジア系アメリカ人が直面する現実を訴えた New York Times 社の記事が昨年末に大きな反響を呼んだ。

これが2016年の現状だ。
2016年にもなって、現実は未だにこうだ。
国際化が進んでいるとされている中での悲痛な思いが、このハッシュタグには込められている。

時間がある時で良いから、下のビデオを絶対に見てほしい。

www.nytimes.com

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どれだけ英語が国際言語として普及しても、
どれだけ国際化が進み、人・文化・言語の交流が活発になっても、

まだまだ僕らの間にある国境や、文化的な境界線という空想の分け目は消えることがない。

アジア系の顔をした人が英語ができたら面白いか?笑えるか?

 

そんなわけない。

 

けれども現実として、多くの人が目標とする、「ネイティブ」のような流暢な英語を持っている彼ら彼女らでさえ、笑われている。
いや、第一言語が英語だから、むしろこの人たちは正真正銘の「ネイティブ」なのに

見た目が「アジア系」だという、ただそれだけの理由で偏見や差別を受ける。
「アジア系」は全員同じ、という発想も間違いでしかない。

これは言語の問題ではない。
これは「英語力」の問題ではない。
いくら英語が流暢でも、僕らは「ネイティブに笑われる」のだ。

 

外国人が日本語を話せたらいけないのか?

 

日本でも似たようなことが起きている。

街中で道に迷ってそうな「外国人のルックス」の人がいたら、多くの人が頑張って英語で話しかけてみようと考えるだろう。
その人が日本で生まれた可能性、日本語が話せる可能性というものは頭をよぎらない。
見た目から「日本語は話せないだろう」と決めてしまっている。

 

別の例で言えば、

テレビに出てくる日本語が「ぺらぺら」の外国人タレント
とりあえず欧米のルックスの人をCMに出して、日本語をしゃべらせたら面白い。
日本語がカタコトでも笑えるし、もの凄く流暢ならそれもそれで違和感があって笑える。

そんなのばっかり。

別に日本が悪いとか、そういうことじゃない。
世界中で、まだまだ文化・言語・民族への先入観が消えないどころか、メディアによってより強調されている。

「笑う」というのも別に悪気があるわけではないだろう。
だけど人種と言語の不一致、その違和感を感じる理由として、固定概念があることは疑いようのない事実だろう。

 

"Cultural Assumption" = 文化的先入観

 

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アジア系の人は英語がしゃべれない。
外国人は日本語がしゃべれない。

個人という単位で見たら、その考えが間違いなのはすぐに分かる。
けれどもまだまだ文化的な先入観 "Cultural Assumption" はなくならない。

僕らの中での「常識」が、メディアにおける扱われ方が変わらない限り、この先入観は消えない。

 

ネイティブに笑われない英語がほしい?

 

そんなこと、もう言わないでくれ。

 

ネイティブ並みの、ホンモノの英語を身につけたい?

 

残念ながら、僕らの口から発せられる以上、僕らの英語は全部ニセモノ

 

僕らが戦うべきは、
僕らが本当に目指すべきものは、
「ネイティブに笑われない英語を身につける」ことじゃない。

 

本場の英語こそが全てで、それ以外の英語はニセモノに過ぎない。
英語はネイティブの所有物で、僕らが使っているのは「まがい物の借り物」。

 

その先入観を捨てる覚悟。
その固定概念から抜け出して、自分の英語は自分のものだと言い切る勇気。
僕らが目指すべきものはそこじゃないだろうか。

 

これは日本人だけの戦いじゃない。
英語学習者全員がいっしょに戦ってゆかなければならない。
自分たちの中での文化的先入観と戦い、世の中から少しずつ無くしていこう。

#thisis2016 誰が英語をしゃべったっていい。
#thisis2016 「ネイティブ」の英語以外の英語も立派な英語だ。
#thisis2016 見た目が民族・言語・文化を表してるわけじゃない。

 

結論!「ネイティブに笑われない英語」を目標にするな!

 

ネイティブに笑われる。

そんなことを恐れてたら英語は一歩も前進できない。

文化的先入観が無くならない限り、流暢であれカタコトであれ、アジア系の人の英語は違和感を生んでしまう。

だったら、笑われたっていいじゃんか

笑われるということは、何か発信・発言しようと努力した証。
口を閉じて黙ったままでは何も進まない。
どんどん英語を発話して、笑いたい奴らには笑わせておけばいいさ。

立ち止まって、からかう奴らなんて気にしないで。
前に進み続ける限り、確実に自分の中で成長してゆける。

ネイティブに笑われる、
日本人に笑われる、
そんなことよりも、
昨日の自分に笑われないことの方が大切。

 

2017年現在、民族・文化・言語に対する先入観はまだまだ根強い。

これを今後変えてゆけるかどうかは、僕らの努力にかかっている。

小さなところからコツコツと。

自分の中の先入観を無くしてゆくところから一緒に始めよう。

 

 

では、僕から以上っ!!

 

 

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