BBCの取材中に子どもが乱入、を面白ニュースで終わらせるのは勿体無い
「偏見と差別」
どーもー、おりばーです。
BBCの取材中に子どもが乱入!
ここ数日間、テレビやネットを見ていた人ならば恐らく目にしたであろう例の動画。
テレビ取材に答えている真っ最中に、部屋に入ってきたのはノリノリの子ども。
続いて歩行器を巧みにあやつる赤ん坊。
そして慌てて子ども達を連れ戻しにきた「一人の女性」。
すでに海外メディアでは盛んに報じられていることだけど、現在この女性をめぐって、ほのぼのニュースとはかけ離れた大論争が巻き起こっている。
この女性は母親なのか?乳母なのか?
この女性が母親ではないと決め付けるのは差別なのか?
そして主に日本の一部ネットで巻き起こっているのが、
これをいちいち差別・偏見っていうのは敏感になりすぎなのでは?
という3点の論争が起きている。
今回は、
人種に対する差別と偏見がいかに僕らの中に深く、根強く埋め込まれているのか。
そしてそれについて議論することは「敏感になりすぎ」なことなのかについて一緒に考えていこう。
第1の論争:母親なのか、乳母なのか?
僕自身がいろいろリサーチして文章にしなくとも、すでに本家 BBC News の Helier Cheung (ヘリエ・チュン氏)が記事にまとめている。
問題の全容をつかむためにも一読をおすすめする。
話の焦点になっているのは、
元のビデオを報道したメディアの一部、そしてそれをツイート、コメントした人の多くがビデオに登場した女性を「Nanny = 乳母」だと思っていたこと。
当然、元のビデオでは乱入した子どもを部屋から出そうと必死になっている女性が映っただけ。
彼女が母親なのか、乳母なのか、ベビーシッターなのか。
それに関する明確な情報はなかった。
後日、動画があまりにもネットで話題になったため、今度は家族全員で取材に応じた。
そのとき、世界は初めて「あの女性」が Jung-a Kim (キム・ジュンア) という名の母親であることを知った。
(実はビデオの中で子どもが韓国語で「ママ、どうして?」と言っていることから、韓国語が分かる人には答えは明らかだったんだけども)
結果として、母親か乳母か?という第一の論争は、彼女を母親だと主張していた人たちが正しかったという結果に終わった。
だけどここで巻き起こったのが第二の論争。
第2の論争:母親じゃないと決め付けるのは差別なのか?
元動画がヒットした時点では、正確な情報がなかった以上、動画を見て面白い!って思った人々はその女性が何者なのかについて自分で考えざるを得なかった。
その中で、
当然のように母親だと思うもの。
当然のように乳母だと思うもの。
これらの二つに分かれたのは、一体どのような原因があるのかを考える必要がある。
乳母だと主張する側の意見には、様々な理由があった。
- 慌てている様子が雇われのベビーシッターっぽい
- 男性が教授という権威のある職だから乳母を雇っていてもおかしくない
- 教授の住んでいる韓国では乳母を雇うことは珍しくない
たしかに肯定しようと思えば色々と根拠を見つけられる。
けれども、あの短い、「面白動画」として拡散された映像をみて、そこまで瞬時に色々と考えた人も少ないのではないだろうか?
そのことから、乳母だとツイートした人、乳母だと報じたメディアは、
乳母だと決め付けるのは、アジア人女性への偏見だろ!
と各方面から多大なバッシングを受けてしまった。
乳母という職業に対するイメージや偏見も関係しているだろう。
特定の職業に特定の人種が従事しているという偏見は世間でありふれている。
白人の家で雇われている黄色人種、という風に人種の優劣を無意識に考えてしまった人も中にはいるかもしれない。
だけど何より一番の偏見は、人種を超えた結婚に関するものだろう。
悪気がなくとも、多くの人が無意識にもってしまっている。
「同じ人種同士で結婚するのが普通だ」という偏見を。
乳母だと認識した人の多くは、アジア人女性と白人男性の夫婦という選択肢を最初から考慮しなかったのだろう。
それは、意図的に「そんなのありえない!」と除外したのではない。
人種の異なる二人が夫婦であるという発想を、そもそも思い浮かべる「枠」を持ちあわせていなかったのだ。
僕たちは、自分の持つ思考の「枠」にとらわれている。
それは教育やメディアによって小さいうちからコツコツと形成されてゆく。
その「枠」を広げるには、「枠」の外にも実はいろいろあるということを知るキッカケが必要。
自分の「常識」以外にも様々な発想や意見がある。
それを認識して初めて人は自らの思考の「枠」に気づくする。
今回の論争で大事なのが、
多くの人が意図的に人種差別的な発想をしたのではないということ。
メディアや教育の中で無意識に培われてきた「常識」。
その思考の「枠」そのものが差別的な価値観を無意識に抱えてしまっていた。
このようなレイシズムを、
"Covert Racism" (無自覚の・内在化された人種差別) と呼ぶ。
人種差別はなくなってない。
前の記事でも話したように、僕らの周りにも日常的にあふれている。
practicemakesbetter.hatenablog.com
そんな中でも特に厄介なのが、無自覚の人種差別。
僕らの社会が成り立っているシステムそのものが、それを助長しているときもあるし、教育、テレビ、広告などから少しずつ形づくられてゆくものもある。
それに気づいて、違和感を感じられるかどうかが大事なのだと思う。
結果として、
乳母だと決め付けるのは人種差別なのか?
それとも正当な根拠があるのか?
という第二の論争は現在も続いている。
話はそこで終わるはずだった・・・。
けれども、日本のメディアにこの議論が伝わったことで、実は第三の論争が始まったことを知っているだろうか?
第3の論争:「アメリカ人、人種差別に敏感すぎじゃね?」
多くの人が有意義な議論を重ねている一方で、日本の各メディアサイトを見ると、その反応は案外冷め切っている。
「こんなんでいちいち人種差別だー!とか言うの?」
「これのどこが差別なのかぜんぜんわかんね。」
「アメリカ人、人種差別に敏感すぎじゃね?」
もちろんこのような反応が国を代表しているとは一切思わない。
ごく一部の意見であってほしい。
けれども、事実として今回の一連の議論が日本ではあまり活発に行われていない。
国際結婚は日本でもある程度広まりつつあるものの、まだまだ偏見が多い。
「外の人」である「外国人」と結婚するという発想から抜け出せない人も多いだろう。
「同じ人種同士で結婚するのが普通だ」という考えは日本でもかなり根強い。
日本人に対する人種差別や偏見もまだまだあることから、議論に関心を示す価値は十分にある話題だと思うのだけれども。
なぜか「過剰に敏感になりすぎ」という風に捉えられてしまう。
「こんなの」でいちいち話題にするのは、敏感になりすぎなのか?
議論している人たちは、差別反対!とただ大声で叫んでいるだけの人なのか?
そんなわけない。
でも、僕は別に怒っているわけでも、落胆しているわけでもない。
なぜなら、「敏感になりすぎ」という風にバカにされているとしても、それは、それだけ多くの人の目と耳に情報が届いているということを意味しているから。
差別という言葉が話題にすらならない。
差別という発想がそもそも認知されていない。
差別があって当たり前だと思われている。
そのような時代に比べて、僕らはだいぶ前進したと思う。
まだまだ戦ってゆかなければならないし、現状で満足してはいけない。
けれども、
「敏感になりすぎ」だとバカにする人が出てくるくらい、議論が活発に行われて、話題に上がっている。
それは素直に喜ばしいこと。
Gandhi が言ったとされている文言の中で、このようなものがある。
実は出処がハッキリとしていない言葉なのだけど、今回の話に通ずるところもあるだろう。
https://www.walldevil.com/507111-mahatma-gandhi-first-they-ignore-you-wallpaper.html
はじめに彼らはあなたを無視し
次に笑い・からかい、
そして挑みかかってくる。そうして我々は勝つのだ。
人種差別の話題が挙がりすらしなかった。
無意識な人種差別が存在することに気づくことすらできなかった。
そんな時代を乗り越え、議論が活発に行われるようになってきた。
声が上がり始めたら、それをあざ笑い、バカにする人も出てくるだろう。
でもそこを耐え抜いて、声を上げ続ければいつか変化は訪れる。
からかう人を恐れて、黙ってしまってはいけない。
だからこそ僕は、この第三の議論もある意味でとても有意義で、価値のあるものだと思う。
多少でも話題に上がって、人の目に触れれば、それだけ多くの人の思考の「枠」を広げられる。
その議論に賛同する・しないは別にして、その考えに触れるキッカケを与えられる。
バカにする人が出てくるくらい話題になっていることに、感謝しよう。
結論!それでも面白い動画であることに変わりはない!
最後に、
「議論せず、楽しんでみてほしい」
乱入者たちの母親であるキム・ジュンアさんの言葉だ。
この動画が巻き起こした大論争は、議論する価値のあるものだ。
けれども、いくら真面目な話題に発展したからといって、あの例の動画が最高に面白く、たった数秒で多くの人々を笑顔にできることに変わりはない。
踊りながら入場した子供。
歩行器を巧みにあやつる赤ちゃん。
状況に絶望しつつ、威厳を保とうとする父親。
そして夫のために必死に駆けつけてきた妻。
いまや世界中がこの家族の大ファンになりつつある。
人種差別、
国際結婚への風当たり、
数々の偏見、
それらを乗り越えて、幸せな家庭を築いている。
あの動画は多くの人に笑いを提供しただけでなく、人種・偏見に対して一度考え直すキッカケを与えてくれて、なおかつ、幸せな家族の形を僕たちに示してくれた。
ただの面白ニュースで終わらせるのは勿体無い。
僕がそう伝えたいのは、
差別や偏見について真面目に考えろ!と言いたいのではない。
面白ニュースとして始まり、僕らに考えるキッカケをくれて、かつ幸せな気分にさせてくれる。
BBCの例の動画は、それだけ多くの学びと発見を与えてくれる。
ただの面白ニュースで終わらせるのは勿体無い。
では、僕から以上っ!!